西洋豆本の世界
Part 2
「何故豆本が存在するのですか?
作るのですか?集めるのですか?」
初めて豆本を目にする人はきっと思われる事でしょう。
確かにこれは興味深い謎です。
この謎を解き明かす鍵として、豆本に纏わる幾つかの歴史上のエピソードを以下にご紹介しましょう。
1834年、イタリアの活字彫刻家アントニオ・ファリーノは “Fly’s Eye”(蝿の目) と称される、可動金属活字としては今日でも最小の、約2ポイント大の超マイクロ活字のパンチ(父型)の彫刻に成功しました。
しかしながら、彼自身では活字に鋳造する事が出来ず、パンチは人手に渡ってしまいます
1850年、ミラノの出版業者ジャコモ・グノッチの依頼により、 漸く”Fly’s Eye”活字は鋳造されるに至りますが、今度はそのあまりの小ささ故、 当時は実際の印刷に用いる事が出来ませんでした。
17年後の1867年、パドヴァのサルミン兄弟が初めてこの”Fly’s Eye”活字による 豆本の印刷に着手しますが、印刷は困難をきわめ、11年もの歳月を費やして1878年に “Divina Commedia”(神曲)を、 後の1896年に “Galileo a Madama Cristina di Lorena”(ガリレオの手紙)を完成させます。
これらの仕事にあたり、植字職人と校正者が、深刻な視覚障害を起こしてしまったと伝えられています・・・。
miniature book oval saloon Lilliput